Yasuo Kikuchi

@kikuchi.yasuo

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最近、フルトベングラーに戻ってきてしまった。 LP.CD時代を素晴らしい録音で聴いてきたが、所詮ライブの実在する音にはかなわず、何か虚しい時代を過ごしてきてしまったような気がする。 フルトベングラーは、もう70年も前に死んでしまった指揮者であり、録音も、戦前、戦後からのものであって、音はすこぶる悪い。 しかし、ライブで残された音楽を聞き直してみると、そこには独特のアプローチと、時代の雰囲気がひしひしと感じられ、その演奏に、ベートーヴェン、やブラームスが立ち昇る。 ウクライナとロシア、中国と台湾、北朝鮮、スーダンの内戦、日本の自衛隊、安倍前総理や、岸田首相に対するテロ、そしてコロナ! フルトベングラーの生きていた時代をそのままなぞったような今の世相、これで核戦争でも起きようものなら、先の大戦の戦後もなくなり、音楽どころではない。 フルトベングラーは、ナチの時代、ドイツにとどまり、絶えず音楽を供給していた。その演奏は、明日をも知れぬ聴衆が必死になって音楽に救いを求めた、それに応える、悲壮感に溢れたものでものだった。 戦後、戦犯の疑いをかけられ、数年間演奏活動禁止の処分も、彼の身にこたえたに違いない。 しかし、復帰してからから十年にも満たない、生涯の中で、彼は、後世の私達にかけがえのない、演奏活動を残してくれた。 今の、こんな、繰り返そうとしている歴史に身をおくと、全盛を誇った、デジタル録音のクリアーな音が、ものすごく空疎なものに感じる。 あの有名な、バイロイトの第九が、今だに求められているのは、世界大戦が終わって、バイロイト音楽祭が復活した、その喜びと、安堵が、あの音の中に込められているからではないか。 ブラームスの4番、1943年ライブは、逆に敗戦間近いドイツの民衆の悲鳴が込められているのではないか。 ベートーヴェン、5番の1947年ライブは、フルトベングラーの歓びと怒りを具象化しているのではないか。 様々な、想像に聴く音源は、時代の声であり、今現実に迫っている危機のこえでもあるのではないか。 それにしても、1960年代から始まった、クラシック音楽の隆盛は、恩恵を充分に享受していながら、何とゆるい時代だったのかとおもわせる。 しかし、平和というものは、そういうものであり、今、演奏活動のなかで、その延長ができるかどうか、フルトベングラーのBOXや、様々なあの時代、ワルター、トスカニーニ、クーレンカンプ、ギーゼング、ミンシュ、など、あまたにあの時代、に育ち活躍していた、巨匠たちの音楽に耳をそばだて、今を考えてみるべきではないか。 あえて、投稿しました。 文体に、お気に触る面がありましたらご容赦ください。
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11 months ago
あけましておめでとうございます。 本年も、よろしくお願いします。🍶🍷🍢
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1 year ago
今年は、殊の外、躑躅がみごとに咲きました。
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1 year ago
夕映えの桜は、なぜか寂しそうにみえます。 朝蕾だったのが、一日で満開、その後、冬のような冷たい雨風に晒され、可哀想な気がします。 コロナといい、ウクライナといい、決して良い春ではないですね。
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1 year ago
本来、クラシック愛好会に投稿すべきものだとおもいますが、管理人さんの趣旨にも反すると思い、この欄を借りて記事を書きます。 写真のジャケットは、チャイコフスキー作曲、交響曲2番小ロシア。 曲も演奏も、素晴らしいもの。 しかし、この曲は、チャイコフスキーの妹が嫁いだ、ウクライナの義弟宅に度々訪れ、甥や姪たちと戯れながら、ウクライナの民謡をスケッチして、モスクワに帰って、仕上げたもの。 そんな逸話を、残しているので、今のウクライナの惨状をみるにつけ、個人としてなにか出来ないかと考えたわけです。 私が提案する事は、この第2交響曲を、ウクライナ!との標題に改め、世界のオーケストラが頻繁に演奏してもらえないか、ということです。 個人が出来る事は、そんな提案しかできません。 あの曲のフィナーレ、ウクライナ民謡を使った、変奏曲の圧倒的ラストを、ウクライナの輝かしい勝利と、未来にたくしたいのです。 オケが頻繁にとりあげれば、無言のレジスタンスになります。 あの惨状は、戦争の狂った人間の狂鬼としかおもえません。 何か、自分として抗議できないか。 こんなことしか提案して、皆さんの賛同を得るしかありません。そして、ここある演奏家にたくすしかありません。 チャイコフスキー作曲家 交響曲2番ハ短調、ウクライナ よろしくおねがいします。
19 1
1 year ago
今朝の日経、一面の春秋欄です。 私も、チャイコフスキーの伝記を読んでいますが、作品の中にうくらいな民踊、あるいは、オデッサで休暇をとり、その間に、数々のメロディのスケッチをとってあるき、モスクワに帰って作品にしあげたそうです。 地下の作曲家がこの惨状をみたらどんなになげくことか。 ウクライナには、彼の係累もたくさんいるとおもいます。 悲愴のフィナーレのようにだけは、ウクライナはなってほしくない。
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2 years ago
今日2月13日は、一年前震度6の地震があった日です。震災から10年、数え切れない余震のうち、最大級のものの一つ。 震災後、5年前に組み上げた燈籠も、このとおりまた倒壊して、1年そのまま!、余震も怖いし、また大きな地震がきたら危ないので、震災記念?、に庭はこのとおりに保存しておくことにしました。 いつ来るかわからない、天災は日本列島に住む我々の宿命、みなさん、改めて準備をしておきましょう。
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2 years ago
昨日、いや今暁のTBSの不思議発見番組での、栗駒山の扱いは、ちょっと酷いのではないですか。 テーマは、水、分水嶺で 大いに意義のある、また興味深い扱いではありました。 その意味では、参考になるテーマでもありました。 しかし、その中で、奥羽山脈の分水嶺、栗駒山の扱いは魑魅魍魎たる、得体のしれない山として扱われ、私の地元の誇るべき山岳を陵辱しているような表現! 全国放送なれば、誤解を生む視聴者もでてくるはず。 栗駒山は、仙台、大崎平野の母なる山、冬の厳しさを超えて、春には、雪解けの水が田畑をうるおし、夏は東北ならではの味わい、秋の紅葉は、日本の代表的な美しさ!と全国に認知されている山岳です。 フォトは、平野部、栗原市から俯瞰する美しい山容、私も、何回も登りましたが、登山道は整備され、あの画面のようなおどおどろしい、一般登山道はありません。 母なる栗駒山がいつも見守ってくれていると思っている地元の人間には、甚だしい陵辱! もう一度、別の機会にこの山の凄さを、全国放送していただきたい。 TBSにそれを求めます!
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2 years ago